銭湯
小さい時、親父の「おい、風呂行くぞ」という声にめちゃめちゃワクワクしたのを覚えています。まだ明るい時間に行くと、天井から差し込む光に、ファ〜っと湯気がたちこめるあの感じがたまらなく好きでした! ヤッター!いちばん!! って入って行くと、すでに体洗ってるおじいちゃんがいて、このじいちゃん いったい何時に入ったんやろ?っていつも思ってました。小学生になると、近所の仲間とワイワイ言いながら行ってました。 自分の好きな野球選手の背番号と同じくつ箱にくつを入れるんですが、その当時は掛布選手の 31番と、田淵選手の 22番 が人気で、この2つはいつも取り合いになってました。上級生の兄ちゃん達が先に番号を取って行くので、下級生はあとからほかの番号を取り合うんです。盗塁王福本選手の7番とか、青グローブ高田選手の8番とか。 因みに僕は 44番のブリーデン と11番の シピン。さすがに誰とも争わなかったですね。で、「1」と「3」がずっと無かったんですが、そうです! それは王さんと長島さんで、誰かが盗ったまんまなんだとか。ある意味、銭湯側からしたら、本当の永久「欠番」だったんですね。これも時代を物語ってますね。 風呂に入ると大きな湯船のフチに、少し低くなった段があり、そこにお湯をザーッと流して、一人づつケツをコーナーまでスライドさせて、誰がちょうど角のギリギリで止まれるかを競ってました。勢いついて滑りすぎるとズドーンと落ちるし、手前すぎるとショボいし、いちばん最悪なのは、勢いついたのに途中でギッ‼️って止まるやつ! コレはほんまにケツ割れた!と思いましたね。割れてるけど。 あと、水のかけあいしたり、電気風呂で誰が奥まで行けるかゲームしたり、男湯の湯船と女湯の湯船の境い目になぜかあった穴、ここをくぐり抜けようとして、はさまって真剣に溺れそうになるやつがいてたり、、と、いつも銭湯は子どもたちにとって最高の遊び場でした。 でもそんなことしてたら、そら怒られますよね。 でもそうやって、近所のおっちゃんに怒られて色んなことを学ぶんです。 もちろんあいさつも含め、扉をちゃんと閉めろ!とか、泡を飛ばしすぎるな!とか、人が湯船に入ってる時はそーっと入れ!とか、タオルを湯船につけるな!とか、ちゃんと拭いてから脱衣所に上がれ!とか。でもこれ全部、人様に迷惑かけないようにしてる事なんです。銭湯のいいところは、そんな、学校では学べない「社会のルール」が自然に学べてるというところ。 そして、どんな職業でも、どんな地位でも、結局、フル○ンになれば皆一緒!っていうところ。 どっかの偉いさんも、店主も、おっちゃんも、先生も、ヤクザも、赤ちゃんも、み〜んな同じ湯船につかってる!っていうところ。 どんだけ威張ってても、どんだけカッコつけてても、所詮フル○ンですからね。 今でも子ども達とも行きますし、友達ともいきます。仕事先でも、銭湯見つけて時間があればサッて入ります。タオル1枚あれば事足りますからね。 初めて入る銭湯って本当にワクワクします! そして知らない町なのに、一気に地元って感じがしてくるのも不思議です。他に入っておられる方も、僕を見つけて「お、ぐっさん」僕も「こんにちは」ぐらいですね。もう、裸になってる時点で、芸能人も一般人も無いんです! ただの風呂好きなだけで。それを銭湯に来られてる皆さんはわかってらっしゃる。これなんです!これが銭湯なんです! そして、僕は思います! 先生と生徒も、会社の上司と部下も、国の偉いさんがたくさん集まるサミットも、もめている国どうしも、みーんな、先ずは銭湯に行け!と。 これ以上装うことないフル○ンで、包み隠さずオープンで話し合えば! どれだけいい関係を築く事が出来るだろうか!と。 世界の国の首脳たちが輪になり背中を流し合い、ひとつの湯船につかって笑ってる光景を、風呂から上がりコーヒー牛乳とフルーツジュースとマミーとみかん水で乾杯してる光景を、そんな素晴らしい光景を僕は想像します! そしてそれが実現する事を真剣に願っています! 素晴らしき 銭湯に、バンザイ!!
※ 文中に出て来た子どもの頃の銭湯は、僕の地元、大阪府四條畷市の 「みきの湯」さんですが、残念ながら閉められました。最後までちゃんと番台がある昔ながらの銭湯でした。閉める何ヶ月か前に、地元の仲間と行って目に焼き付けて来ました。 開業当初からあるマッサージチェアー、有料のドライヤー、贈呈者の名前を職人技の裏から手書きで書いてる化粧台の鏡、男湯と女湯のちょっと低めのしきり、籐の床、指名手配のポスター、キャップを開けるやつなどなど、、。 この時代に、色々な事情で閉めざるを得なくて閉業された銭湯の経営者の皆様、そして今もなお営業されてる経営者の皆様、本当に有難うございます! いち 銭湯ファンより。